TEAM YDSの歴史
Young Do Sports

 

 当チームの母体であるTEAM YDSは、1985年(昭和60年)3月2日、愛知県名古屋市のオートバイショップ「YDS岡部」(その後YSP1号店のYSP名古屋西に)代表岡部敏彦氏により設立されました。


 


岡部敏彦氏は日本のオートバイレース黎明期よりロードレース界を支えてまいりました。自身昭和30年代より当時日本一オートバイレースが盛んであった中部地区で数多くのオートレース、名古屋T.Tレース等に参戦、その後ヤマハ発動機に入社、ロードレース、モトクロス、カート等のレース部門を担当し、名監督として活躍され、引退後もヤマハや、メーカーの枠を越え日本のモーターサイクルスポーツ界のため尽力を注いでまいりました。このYDS岡部を主体とするチームYDSからは、数多くのトップライダーを排出しました。

 

 


1986年、TEAM YDSのエースライダーとして活躍していた、片山信二選手がヤマハファクトリーのYZR250で全日本選手権シリーズチャンピオンを獲得。また同年、難波恭司選手がヤマハテストライダー、開発ライダーとして国際A級GP250クラスに参戦する。その他、ジュニア、ノービスの選手が多数在籍する事となる。シーズン終了後、ヤマハは、ワークスチームを徐々にサテライト化する計画をスタートさせ、その最初の試みとして、250のチームの運営とワークスマシーンの整備が社外に移管されることになり、岡部氏がその受託先となりました。

 
 

1987年は、名古屋のワークショップをベースに、YDSブームの火付け役となった「シンデレラボーイ」こと本間利彦選手が当時ヤマハのエースライダーだった奥村裕選手(現、スクーデリアオクムラ代表)の負傷により、当初乗っていたTZ250からファクトリーマシンYZR250が与えられ、ホンダのエースライダー清水雅広選手と激しいチャンピオン争いを展開。中でも筑波での熾烈な対決は今でも数多くのファンに語り継がれている。ヤマハ勢最上位のランキング3位を獲得する。また、市販TZ250の開発ライダーを務めながら実戦参加する難波恭司選手はファクトリーマシンと互角、それ以上の戦いを毎戦繰り広げた。
また、86年全日本250ccクラスチャンピオンの片山信二選手は87シーズン遂に500ccクラスへステップアップ。「チーム ラッキーストライク ヤマハ」よりYZR500にて参戦する。


1988年、前年のYDSライダーの活躍により、YDS岡部とUCC上島珈琲とのコラボレーションにてヤマハワークスチーム『UCCヤマハレーシングチーム』が誕生する。全国各地、日本中でプロモーションを展開。全日本選手権GP250ccクラスにTZ250M→YZR250を駆る本間利彦選手、500ccクラスにYZR500を駆る片山信二選手という布陣で参戦。
TEAM YDSからは250ccクラスへ、竹内高選手、中野三智郎選手、近藤靖典選手が参戦する。250ccクラスでは本間利彦選手が念願のシリーズチャンピオンを獲得。また全日本西日本大会では本間、難波選手のワンツーを達成するなど名実共にトップチームとなりロードレース界に大きな功績を記す。以降、1990年までパートナシップは続いた。

 
1991〜92年、ニューモデルV型2気筒エンジン搭載のTZ250を駆り、TEAM YDSから全日本選手権GP250ccクラスへ東村伊佐三選手が参戦する。  
 
1993年、前年からファクトリー活動に専念するためワークショップのみに集約。ヤマハレーシングチームとして全日本選手権GP250ccクラスにTZ250にて芳賀健輔選手が参戦。TEAM YDSからは同250ccクラスへTZ250で向井準児選手が参戦する。
 
1994年、スーパーバイク元年。全日本選手権TT-F1からスーパーバイククラスとして生まれ変わったヤマハファクトリーチーム『Y.R.T.R』を運営。ライダーには吉川和多留選手、全日本500cc3年連続チャンピオン藤原儀彦選手を配す。そして見事初代スーパーバイクチャンピオンを吉川和多留選手が獲得する。TEAM YDSでは、全日本選手権GP250ccクラスに向井準児選手、森修一選手、青木朋直選手が参戦。この年発表となったTZ125を駆り全日本選手権GP125ccクラスへ山中信幸選手が参戦する。
 
1995年、TEAM YDSに芳賀紀行選手が加入。全日本選手権スーパーバイククラスにファクトリーマシンYZF750にて参戦。その後の活躍は皆さんご存知の通り。名実共に世界を代表する素晴らしいライダーとなる。全日本選手権GP250クラスへは、TZ250にて森修一選手、田中大輔選手、高峰寿三男選手、青木明直選手、125ccクラスでは新しく鈴木健選手が加入。94年から引き続きTZ125にて山中信幸選手が参戦。


1998年、ヤマハファクトリーのスーパーバイクチーム『Y.R.T』として最後の年となる。同時にこの年をもって、代表岡部敏彦氏は全日本選手権参戦チーム協会「A.R.T」代表に就任。TEAM YDS全てのレース活動を休止する事となる。


1999年、九州、東京を拠点としTEAM YDSとして活動を再開。GP250ccクラスをメインとし、国際クラスに大山選手、山本選手、小池選手、相野選手、荒瀬選手、佐竹選手、国内に山下選手の7名により再開するも同年のみの活動となる。


2001年、VRITZ RACING TEAMとして、TEAM YDS所属ライダー小池、山本により全日本選手権、エリア選手権GP250ccクラスへの参戦を再開。


2002年、岡部敏彦氏を総監督とし、TEAM YDS VRITZとして活動を強化。全日本選手権スーパーバイクに新設されたJSBクラスに榊原礼視選手が加入し参戦する。参戦初年度より好成績を残し、年間シリーズランキング18位、チームランキング8位を獲得。トップエントラントチームとなる。同時にこの年鈴鹿8時間耐久ロードレースにも参戦を開始、現在に至る。
 

TEAM YDSは、二輪ロードレースチームの中でも名門とされる所以がここにあります。数多くのライダーが切磋琢磨し、のびのびとレースに打ち込めるのも岡部敏彦氏の徹底したレース教育、人間教育があったからです。チャンスを掴むも逃すも自分次第。夢を切り開いてゆく活動の基盤としてとても大切なことです。また、TEAM YDSでは古くから伝統規約があります。ここに抜粋を記します。

●サーキットではTEAM YDSとしてグループ行動をする。
●サーキットパドックには必ずチームテントを張ること。
●レース時は必ずチームウェアーを着用すること。
●レース車両、パーツは各自で準備すること。
●レース成績の良い者、上位入賞者には機能パーツの援助を行う。
●レースは全て優勝を目的に全力で努力し、日頃から自分を鍛え上げる。
●レース、練習等で起こった事故、怪我は全て自分の責任とし、他人には一切迷惑をかけないこととする。
●ライダーとして、社会人として又、一青年として健全な精神と、強固な体力を維持するために、日頃から精進し努力を怠らないようにすること。
●自己管理、トレーニング、マシン整備管理の下、全力でレースチャレンジする。
●レース記録はライダーの貴重な財産である。レース終了後データを提出すること。
●TEAM YDSの一員として誇りを持って行動する。

☆目的→→優勝
☆目標→→チャンピオン

チームカラー 赤・白・青

TEAM YDS
代表 岡部敏彦

 

岡部敏彦さんを語る会 2011/3/6 名古屋マリオットアソシア
多数皆様にお集まり頂きOB、現役共々感謝で一杯です。ヤマハ発動機株式会社現役、OBの皆様、チームの名称にもなったヤマハ2サイクルスポーツバイク「YDS-1」の生みの親である、ヤマハ発動機株式会社第三代社長長谷川武彦様、ホンダ、カワサキ、スズキ各メーカーの皆様、鈴鹿サーキットの皆様、また、幹事を務めていただきました片山先輩、難波先輩におかれましては、この場をお借りして今後もTEAM YDSのご指導宜しくお願い致します。

 




TEAM YDS VRITZ
TEL:0572-27-5209

 

 

Copyright (C) 2011vritz.co,ltd All Rights Reserved.
ニュースとインフォメーション チーム・ライダープロフィール 参戦記・フォトギャラリーなど メッセージボード リンク オリジナルパーツなど ショッピングカート始めました! トップへ戻ります 交通アクセスマップ たじみ創造館周辺情報 岐阜県多治見市。 多治見市観光協会ホームページ!